「有事」は無きが正しき姿。
2005年 12月 09日
一昨日の夜、近所(自宅から歩2~3分)で火事が発生しまして。ちょっとその様子を見に行き(要は野次馬(苦笑))、小学生時代以来久しぶりに消防車が実際に消火活動をしているのを目の当たりにしました。一応はテキパキと行動はしていましたが、時折戸惑っている感じも見受けられました。その辺はやはり消防隊員も人の子なんだと思いました。
何らかの不測の事態に備えて訓練しているとはいえ、それらは本来、起きるべきではない事態。それらの訓練は無駄に終わるのが一番なわけで。
かつて、日本海軍の山本五十六は「百年兵を鍛えるは平和を守るため」と言ったそうです。思わぬ「有事」に対する事の出来る力は、使い所を間違えば行使した方が「有事」な存在となりえるわけです。そういった力が使われない状況(=平和)であるからこそその力は、その存在を正しき姿に留めおけるのだと思います。
そもそも、こんな事をのんびりと語れるのも平和であればこそ。大体にして、私がこんなひねくれオタク(含笑)をやっていられるのだって平和じゃなければ不可能だし(遠い目)。
そう考えると、平和である今のこの状況に感謝しなくちゃなあ、と感じ入った冬の一夜でした。
何らかの不測の事態に備えて訓練しているとはいえ、それらは本来、起きるべきではない事態。それらの訓練は無駄に終わるのが一番なわけで。
かつて、日本海軍の山本五十六は「百年兵を鍛えるは平和を守るため」と言ったそうです。思わぬ「有事」に対する事の出来る力は、使い所を間違えば行使した方が「有事」な存在となりえるわけです。そういった力が使われない状況(=平和)であるからこそその力は、その存在を正しき姿に留めおけるのだと思います。
そもそも、こんな事をのんびりと語れるのも平和であればこそ。大体にして、私がこんなひねくれオタク(含笑)をやっていられるのだって平和じゃなければ不可能だし(遠い目)。
そう考えると、平和である今のこの状況に感謝しなくちゃなあ、と感じ入った冬の一夜でした。
by avt-race
| 2005-12-09 12:53
| 雑記